今夜の新宿のお話

「今夜の新宿のお話」は、新宿バイリンガルトーストマスターズクラブ独自の役割です。アサインされた会員は新宿にまつわる話を3分前後でスピーチします。新宿に関することであれば何でもかまいません。おすすめのお店でも、新宿での個人的な思い出話でも、新宿についてのうんちくでもなんでもありです。ただし事前に原稿を用意することが求められます。ここに投稿されている記事はそのスピーチ原稿になります。例会のスピーチの雰囲気を少しでも感じ取っていただけたらと思います。

2018/12/6 197回例会 by I田

2018/12/11 18:43 に Admin SBTMC が投稿   [ 2018/12/11 18:49 に更新しました ]

今夜の新宿のテーマは、ラーメンです。

新宿には沢山の飲食店が存在しますが、その中でも特筆すべき食産業はラーメンです。

新宿には数多くのラーメン屋、そして有名店がありますが、

こんなラーメン屋さんがあるのはご存知ですか?


2004年、新宿歌舞伎町ゴールデン街の小さな一角、
4坪8席という狭いスペース、週に1度の間借り営業でスタートしたそのお店。
口コミが広り営業日数も増えていつしか行列は100人以上。

煮干をそのままかじるような強烈な煮干ラーメンが特徴で、一口食べると脳天を突き抜けるようなうまさが衝撃的です。

スープはキラキラとした黄金色の輝き。一杯に煮干し50gを使うというだけあり、細かく砕かれた煮干しの銀色がスープの中でキラキラを輝くのです。

モチモチとした自家製麺に、一反麺というワンタンの皮のようなものがデデンと入っているのも面白いです。


さて、お店の名前ですが、

「凪」

といいます。

「なぎ」です。

日本語で凪というのは、風速0メートル、無風の状態の事をいうそうです。



そんな凪ですが、

2018年12月時点で、新宿に3店舗をはじめ、関東圏に10店舗まで店舗が増えています。


さらに、さらに、

日本だけではなく世界にも店舗展開をしています。

台湾、香港、中国、シンガポール。


そして、世界でもっとも多くの店舗を構えている国があります。


どこだかわかりますか?



アジアのとある島国


正解は、フィリピンです。

フィリピン人の所得は決して高くないですが、日本食はブームになっていて非常に人気があります。

現地では、ラーメン一杯が1000円以上するそうですが、それでも店内は満席になるほどの活況ぶりだそうです。


凪という店名からして、新宿のゴールデン街の一角でおとなしく営業している感じがいますが、ここまでくると台風です。

今では大型台風並みの勢力に成長し、きっとこれからもさらに成長して世界に旋風を巻き起こすでしょう。

ぜひ一度、凪の煮干しラーメンを食べてみてください。


新宿には沢山のラーメン屋があります。

新名にとってのお気に入りのラーメン屋を探してみてはいかがでしょうか?


2018/11/15 196回例会 by K原

2018/12/03 19:23 に Couichi Hashimoto が投稿

東京に引っ越して16年。私はお酒が大好きで、いろんな場所に飲みに行きましたが、印象に残っているお店、インパクトのあるトップ10に新宿から4か所も入っています。
今日はその中から第3位の“思い出横丁”について少しお話したいと思います。
場所は西口北側のガード脇、狭い(アットホームな)空間に怪しげな雰囲気の居酒屋がビッシリと並んでいます。会社の先輩に連れて行ってもらったのが最初のきっかけだったのですが、その先輩がずっと“しょんべん横丁”と呼んでいたので正式名称を知ったのは後になってからでした。
この思い出横丁ですが、元々の成り立ちは戦後のヤミ市が始まりだそうです。この思い出横丁の何がそんなに凄いかというと、その戦後のドサクサ感が今でもそのまま残っている。
お店とお店を繋ぐ剥き出しの電線、ネオン看板、・・・・。一日の利用者数が世界ナンバーワンのターミナル駅の駅前という好立地でありながら、あのクオリティを維持できている理由は何なのでしょう?
そんな昭和の匂いが残っていて、どこか懐かしい気持ちになる“思い出横丁”。
皆さんも是非いちど立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

2018/11/01 195回 by M浦

2018/11/10 14:28 に Couichi Hashimoto が投稿

新宿はここ20年くらいあまり来ることがありませんでした。


ただその 20年前はよく来ていました。


大学生の時に飲み会で歌舞伎町に飲みに来ていて馴染みはあります。 


当時、歌舞伎と言うと、夜の街、危ない街といったイメージを持っていましたが、大学生になって飲み歩くようになってからはただの飲屋街と思っていました。でも一度だけ怖い思いをしたことがあります。 その大学生の時に、同じ学科の櫻井くんと言う友人と二人と、夕方頃、 飲みにでもいこうと、歌舞伎町から少し外れた道を歩いていたときのこ とです。歩きながら話に夢中になり、前を向いておらず、人にぶつかっ てしまいました。「すいません」といいつつ振り返ると、五人程の体の 大きな強面のお兄さんたちの集団の一人にぶつかっており、瞬く間に彼らに囲まれてしまいました。 


「イテーな、オメーどこみてあるいてんだぁ!どうしてくれんだ?」


と凄まれ、やばいと思うとと同時に、自分とそのお兄さんの間に、なんと友人 の櫻井君が割って入ってきて、謝りだしました。 その男気に驚いたのはもちろんなのですが、櫻井君の謝り方は頭を下げた謝り方ではなく、胸を張って、逆に見下ろすようにして、語気を強めた謝り方でした。火に油を注ぐような櫻井君の態度に内心、大丈夫か、 と思いつつ、こちらもヘコヘコと謝っていました。 2、3分くらいだったでしょうか、その問答が続きましたが、しばらくして相手も飽きたのか、立ち去っていきました。 その後で彼に話を聞くと、何度も膝蹴りをされたりしていたようなので す。でも手を出さず、挑戦的に謝り続けてくれて、場をなんとか納めて くれたのです。 今でもその時のことを時々思い出しては彼に感謝しています。


私にはそんな思い出のある新宿です。

2018/10/18 194回 by I田

2018/11/10 14:03 に Couichi Hashimoto が投稿

あなたは新宿という街は得意ですか?

経済、娯楽、交通網面からも巨大な都市新宿は地理感覚がとても難しいです。


そして、地上世界は勿論ですが新宿は地下世界も巨大です。

今夜テーマはそんな新宿巨大地下迷宮についてです。


新宿地区にはいくつか駅がありますが、地下道を通してそれらがつながっているで、雨日でも濡れずに駅間移動できます。

今日は私職場最寄り駅である西新宿から今日会場である新宿御苑までいかに地下道で歩いて来れるかを検証してきました。


西新宿から地下に降りて地図上で最短距離は丸ノ内線に沿って行けばよいですが、途中までしかつながっていません。すべて地下道で行くためには、一度新宿駅西口から都庁につながる地下道まで迂回する必要があります。


無事に新宿駅西口についたら、次は新宿駅東西を結ぶ丸ノ内線地下道を通り駅反対側へ、そこからは新宿3丁目に向けて直進します。

無事に新宿3丁目についたら、そこから新宿御苑まで。しかし、ここで地下道が新宿御苑まではつながっていない事に気が付きました。

あきらめて新宿3丁目から地上に上がり、あとはGoogleAMPに従って地上から新宿御苑を目指します。


しかし問題は迷いやすいという事です。


最終的に、西新宿から新宿御苑まで地上ルートからいくと30分かかる(Google マップ調べ)ところ、今日は地下道を通り50分かかってしまいました。


理由は新宿三丁目で地上に出てから道がわからず逆方向に歩いていってしまい大きな時間ロスが発生したためです。あれがなければ30分程度でついていたと思います。


新宿は地下も迷いますが、それだけではなく地上でも同じように迷う。


そんな地上も地下もどちらも巨大で複雑な新宿ですが、そ複雑さを前に諦めてはいけません。

迷いながらもめげずに地下道を歩き回っていきましょう。

きっとそうち地理感覚が掴め大雨日も、台風日でも、寒い日も暑い日も比較的快適に新宿街を自由に移動できるようなり、いつ日か新宿が得意になる日が来るかもしれません。

2018/10/04 193回例会 by Y氏さん

2018/11/05 19:47 に Couichi Hashimoto が投稿   [ 2018/11/05 19:49 に更新しました ]

西武新宿線乗り込み計画

新宿区はJR新宿駅から北東に広がっており、新宿駅は渋谷区とまたがっています。
大都市新宿というとさまざまな記録があると思います。そんな中、新宿駅の1日平均乗降者数は約353万人(2017年)と世界一でギネス世界記録認にも認定されています。
新宿と名のつく駅は10駅ありJR以外に地下鉄、京王線、小田急線、西武線などが新宿に乗り入れています。
私の使用している西武新宿駅はこの駅の中でもなぜ遠く離れたところにあり、他の線と接続していないか昔から疑問でした。
調べてみると過去に何度か東口に乗入れ計画があり今日はその歴史をご紹介します。

 
新宿区はJR新宿駅から北東に広がっている


西武新宿駅はなぜ遠い
もともと新宿線は高田馬場-東村山間で開業しました。戦前は高田馬場から都心乗り入れにいくつか計画があったのですが実現しませんでした。
終戦後国から新宿まで乗り入れる許可は降りたものの新宿駅周辺は区画整理が進んでおらず、とりあえず今の西武新宿駅のある場所に仮駅舎をつくりました。
新宿の再開発とともにJRに乗り入れようと考えていたようです。

1950年代 JR新宿駅周辺の整備が進み、東口に今のルミネエストのビルの建設が始まります。西武はこのビルの2階に新宿線を乗り入れる計画をします。左右に6両編成の電車がふたつ停車できる島ホームをひとつ作る計画でしたが、これが障害となってしまいます。
当時西武新宿線の利用者が増え続けたため、新宿線の電車は6両から8両、10両と短期間であっという間に長くなってしまったのです。
島ホームを長くするのは敷地不足のため難しく、東口乗り入れ計画は中止となってしまいます。この中止を踏まえて西武はプリンスホテルや現在のPePeの入った駅ビルを建て、西武新宿駅は本駅舎となりました。
バブル期になるになると新宿東口乗り入れ計画が再浮上します。
上石神井から新宿までの地下に急行用の線路を作り、地上と地下とで複々線とする計画です。しかしこの計画も工事費が膨らんだところにバブル崩壊で中止となりました。

このように何度か乗り入れ計画があったものの実現には至っていません。
駅周辺はコマ劇場がホテルや映画館になり、新宿南口にはバスタが出来たりと常に変化し続けています。
西武線を利用している私にとって座って帰れるというメリットは享受していますが接続の希望は捨て切れません。 
いつの日かつながる事を願って!

参考にしたサイト
西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画(https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2103N_S2A121C1000000)

2018/09/6 at 第191回例会 by I藤

2018/09/21 1:51 に Couichi Hashimoto が投稿   [ 2018/09/21 21:06 に更新しました ]

For those who don’t know what it is, Tonight’s Shinjuku is a kind of informal/ice-breaker speech at the beginning of the meeting and one of us is supposed to talk about our own memory or what we researched about this town – Shinjuku. For today, let me talk about my memory about Shinjuku. 
In my college days, I was a part of choir / chorus group. Our club used to hold annual concert once a year at Tokyo Kosei Nenkin Kaikan - one of the largest music hall in Tokyo at that time. 
Pic of Kosei Nenkin Kaikan

The capacity was more 2000 sheets. I was on the stage of this hall when I was a student from 1996 to 1999. Unfortunately the hall became old and has been closed in 2010. After that, the place was sold to private and the building itself was replaced by museum, apartment and office buildings. 
Pic of inside of Kosei Nenkin Kaikan

Our club was coached and conducted by this person – Ryosuke Hatanaka. Hatanaka-sensei had been our conduct since 1960, which is before I was born actually. Sensei has been our coach for more than 50 years. I learned a lot from him. 
In 2012, Sensei got 90 years old and decided to step out from our conductor. 
Pic of Hatanaka-sensei

We wanted to hold his last concert somewhere in Shinjuku but Tokyo Kosei Nenkin Kaikan was already closed. Then we had the concert here – Shinjuku Bunka Center - what a coincidence! – we have the first meeting today! Thank you, Watanabe-san, for nominating me! 
pic of shinjuku bunka center

Of course, I was already graduated from the college then but old students gathered then and had a performance together with current members. It is sad that, soon after the concert, Sensei has passed away. But the last performance we did at that time – we performed “grand march” from opera “Tanhauser” – was quite memorable moment. 
Thank you, Toastmasters. 
pic of inside shinjuku bunka hall

YouTube 動画



2018/08/16 第190回例会 by W辺

2018/09/21 1:40 に Couichi Hashimoto が投稿

皆さんこんばんは。前回は東京生まれのS本さんによる都会人から見た新宿のお話でしたが、今回僕は地方出身の田舎者から見た新宿の話をしたいと思います。
 僕が新宿に上京したのはおよそ30年前の昭和の時代です。それまでは仙台の片田舎、大学院の研究室で地味な研究に没頭していましたが、新宿に本社のある食品会社に就職が決まり、中学の修学旅行以来、初めて上京したんです。
最初は電車の乗り方がよく分からず、「東京駅から山手線に乗ればそのうち新宿に着くから」という言葉を頼りに移動。会社のあった新宿新南口は今ほど栄えておらず、ビール会社の荷捌所や連れ込み旅館、貨物引込線の広場には、ミュージカルキャッツの大きなテントが一時的に設置されたりして、歌舞伎町ほどの賑わいはなく、何となくのんびりとした印象でした。
 会社では4/1に入社式があり、修士卒で年長者という事だけで新入社員総代となり、社長への答辞のスピーチ、足が震えたのを覚えています。答辞の原稿を作る時にいろいろ考え、製粉会社にちなみ「身を粉にして働きます!」と答辞のスピーチを締めくくりました。まあよく出来たほうかなと思っていたところ、「毎年これ、言うんだよねー」と先輩に言われ、思い出すと今でも恥ずかしいような酸っぱい気持ちになります。甲州街道沿いの南口北側には、会社の人達が行きつけの安い居酒屋があり、相席の狭い部屋に入ると誰かが必ずキープしている焼酎と冷奴でいろんな話をしました。トトロに似た大将は、席が空いていると店先で黙って「おいでおいで」をする。すると引き寄せられるように満席になるのが不思議でした。大将、かなりメタボだったけど元気かな。今の新宿新南口は高島屋やニュウマン、バスタ新宿ができ若者向けのクールな街並みに変わり、歩く人達のスピードも30%増しで気ぜわしい気がします。でも、高速バスから降りてきた地方出身者(おそらく)を見ると昔の自分を見るようななつかしさも感じます。

2018/08/2 「私の新宿」第189回例会 by S本

2018/09/21 1:36 に Couichi Hashimoto が投稿   [ 2018/09/21 1:36 に更新しました ]

私は東京の郊外で生まれ育ちました。
しかし子供にとって都心はとても巨大に思えました。
その中でも新宿は大人になる為の、青春の門のような存在でした。
池袋や渋谷と違って、そこは巨大な夜の大人の街だったからです。

私たちが18歳になると免許を取り、親の車でドライブするようになりました。
その行き先は、湘南の事もありました。
しかし圧倒的に多かったのは、夜の新宿でした。
そしてディスコに行き、タバコを吸い、酒を飲み、大人の真似をしたのです。
新宿に行く度に、私たちは子供から、大人に変わって行く気がしたのです。

しかし暫くすると私達は新宿を超え、もっと東京の奥へ行く事になりました。
六本木、麻布、青山、ベイエリア。
新宿はもう、卒業した気になっていました。


それから何十年も、新宿には行きませんでした。
しかし5年前、ある日私はケータイで話し方教室を探していました。
そして見つけたのが、新宿バイリンガルTMC。

ところが次の例会がまさに、今日だったのです。
当時あのコマーシャルが流行っていました。
「いつやるの、今でしょ」
そして私は新宿にまた戻ってきたのです。

毎月2回、一度も休まずに訪問しました。
しかしそれで飽き足らず、私は他にも3つのクラブに入会しました。
新宿を超え、もっと東京の奥へ行く事になりました。
飯田橋、青山、池袋、そしてコンテスト。
新宿はもう、卒業した気になっていました。


でも仕事の都合で、トーストの活動を縮小しなければならなくなりました。
そして少しづつ退会して、結局はまた、新宿バイリンガルだけになったのです。
そして今日から私達はまた、新宿の街に戻ってきました。
今後は二次会も新宿になるでしょう。


いつも新宿は私の最初の関門でした。
新宿にきて、新宿を乗り越え、新宿を離れ、そしてまた新宿に戻るのです。

新宿は世界一の都市東京の、世界一の街です。
だからここに世界一のクラブを作りましょう。

2018/07/19 "The foundation of Shinjuku" 第188回例会 by H本

2018/09/20 20:54 に Couichi Hashimoto が投稿   [ 2018/09/21 1:33 に更新しました ]

「新宿」

if you have to translate it into English, how would you translate it?

「新」 is easy. "new" right? But how about 「宿」?

a hotel?

NEW HOTEL? 

That's not far from what it is, but I would choose "station" for 「宿」 instead.

Because Shinjuku was originally created for a sort of a relay-station, placed in between Nihonbashi and Takaido on the Koshu kaido.

Shinjuku was created by Tokugawa shogunate. But do you know that the original idea came from somewhere else.

There was a guy who petitioned to create a new station in between Nihonbashi and Takaido.

His name was Kihei Takamatsu, a mere merchant from Asakusa.

He raised 5600 ryo, roughly ten million dollars in the current value, to make the NEW STATION reality.

He practically founded Shinjuku.

320 years ago, Shinjuku was nothing but a bunch of Samurai houses.

Now, it is one of the largest cities in the world, filled with skyscrapers.

More than 3.5 million passengers use Shinjuku station every day.

Just a one man's idea changed the surface of the world.

Hats off to Mr. Takamatsu for giving us the NEW STATION 新宿!

Long live Shinjuku! 

And along with it, long live Shinjuku Bilingual Toastmasters Club!

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